世界的なグラフィックデザイナーとして活躍する、世継恭規(よつぎ やすのり)さん。
梅宮アンナさんとの「出会って10日婚」が話題になっています。
そんな世継恭規さんですが、ハードコアパンクバンドとしての活動を経てグラフィックデザイナーとなる異色の経歴を持っているようです。
ということで今回は
- 世継恭規の生い立ちや経歴学歴まとめ!
- 世継恭規のバンド名は共三党でギター担当?
ということについて書いていきたいと思います。
世継恭規の生い立ちや経歴まとめ!

世継恭規さんは、1965年に京都府で生まれています。
若い頃はハードコアパンクバンドで音楽活動を行なっていたという情報はありますが
おそらく高校卒業後にデザインを学んだ可能性が高そうですが、バンド活動との前後関係などはわかっていません。

1990年からグラフィックデザイナーの仕事を始め、1995年には自身の会社「有限会社ヨツギ・ヤスノリインコーポレイション」を設立しています。

仕事の内容は
「新しいクリエイティブをやってみたい、といった漠然とした気持ち」
そんなかたちになる前のイメージを具体的なものにしていくお手伝いをする
ということだそうです。
「0を100に」し、「空気を個体にする」ような作業だといいます。
国内外でファッションやプロダクトデザイン、アートディレクションなど幅広く活躍しており
- JUJUのCDジャケットのデザイン
- トヨタ自動車のプロダクトデザイン
にも関わっています。
世継恭規のバンド名は共三党でギター担当?

前述したように世継恭規さんはハードコアパンクバンドで音楽活動を行なっていた過去があり、そのキャリアはその後のクリエイティブな活動に影響を与えたと考えられます。
世継恭規さんは、一体どんなバンドで活動していたのでしょうか?
世継恭規のバンド名は共三党
世継恭規さんが所属していたは
というハードコアパンクバンドです。

大阪スタジオあひるでの、ザ・スターリンと共演や

少年ナイフとステージを共にするなど

バンドとしても、かなりの実力を持っていたことが想像できます。
世継恭規はギター担当?
バンドといえばボーカル、ギター、ベース、ドラムなど、それぞれ担当がありますが、世継恭規さんはどのパートを担当していたのでしょうか?
世継恭規さんの共三党時代の画像・映像はほとんど残っていませんが

出会った可能性は非常に高そうです。
スリーピースバンドであれば
ギター(ボーカル)
ベース(ボーカル)
ドラム
というパターンがほとんどですが、画像から世継恭規さんがどの人かもわからず

担当していたパートの明確な情報はありません。
メンバーには加害妄想 RECORDS時代のGUDONを支えたドラムス/AKITOさんが在籍。
そんなAKITOさんの経歴は…
腐臭 → 残忍聖者 → 卑下志望 → FINAL SHOUT引用:http://shop.shimokita-killers.com/?pid=149128003
Akitoさんという方がドラムを担当してたようなので、世継恭規さんはギターかベースだったのではないかと考えられます。

少なくともギターを演奏できることは間違いないようです。
まとめ
今回の記事では
- 世継恭規の生い立ちや経歴学歴まとめ!
- 世継恭規のバンド名は共三党でギター担当?
ということについて書いてみました。
結論、世継恭規さんは
- 京都府生まれ
- 学歴不明
- 世界的グラフィックデザイナー
- 元共三党のメンバー
ということがわかりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!