衆議院議員として活躍した石川知裕(いしかわ ともひろ)さん。
大腸がんのため政治活動を休止していましたが、2025年9月6日都内の病院で死去しました。
がんは肝臓やリンパにも転移しており、1週間ほど前から緩和ケア病棟で過ごしていたそうです。
今回の記事では
- 石川知裕が癌の症状悪化で死去
- 石川知裕の生い立ちや学歴
- 石川知裕のwiki経歴プロフィール
- 石川知裕の家族構成
ということについて書いていきたいと思います。
石川知裕が癌の症状悪化で死去

元衆議院議員の石川知裕さんが、癌の症状が悪化し死去しました。
石川知裕さんは、2024年3月10日に
- 大腸がんのステージ4b
- 肝臓やリンパにも転移
ということを明らかにしていました。
その後、同年10月に第50回衆議院議員総選挙に出馬しましたが当選には至りませんでした。
その後、症状が進行したため再び入院し、都内の病院で家族に見守られながら亡くなりました。
世間からは




- 勇敢でした
- がん公表後も頑張っていた
- まだ若いのに
- 早すぎる
- お子様小さいのに辛い
といった、悲しみの声で溢れています。
石川知裕の生い立ちや学歴

石川知裕さんは1973年6月18日、北海道足寄郡足寄町に3人兄弟の末子として生まれました。
父親の石川勲さんは2003年の足寄町長選で次点となった人物で、石川知裕さんの政治への関心に関係しているのかもしれません。


- 足寄町立西小学校
- 足寄町立足寄中学校
を卒業後、北海道の名門私立校である

函館ラ・サール高等学校:偏差値64-66
に入学します。
函館ラ・サール高等学校を卒業後は

早稲田大学商学部
に入学し、政治サークル「早大鵬志会」では、小沢一郎氏の書生として政治の現場を学んだようです。
卒業後すぐに政治の第一線入りし

2016年に、法政大学大学院政治学研究科を修了します。
石川知裕のwiki経歴プロフィール

石川知裕さんのwiki経歴プロフィールは
項目 | 内容 |
---|---|
生年月 | 1973年6月18日 |
出身 | 北海道足寄町 |
学歴 | 函館ラ・サール高校 → 早稲田大学商学部 → 法政大学大学院(修士) |
初当選 | 2007年(比例復活) |
当選回数 | 衆院3期 |
主な事件 | 陸山会事件で逮捕、有罪 → 後に復党、学び直し → 大腸がんで活動休止 |
最近の立候補 | 2019年知事選、2022年参院選、2024年総選挙比例単独(いずれも次点) |
家族 | 妻・香織氏(衆議院議員)と2児の父 |
このようになっています。
石川知裕さんの訃報に
若い時から30年以上も一緒に歩んできた石川知裕君が、志半ばにして亡くなってしまいました。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) September 6, 2025
非常に残念です。
石川君の死を無駄にしないためにも、今後、一層頑張っていきたいと思います。
心から冥福を祈ります。
小沢一郎
石川知裕元衆議院議員が亡くなりました。
— 参議院議員 森ゆうこ(森裕子) (@moriyukogarden) September 6, 2025
大切な、大切な同志の訃報に言葉もありません。
まだ52歳・・・
闘病中ではありましたが、政治への情熱は
衰えることなく、参議院選挙の最終盤に、
力強い激励も頂いていました。
心からご冥福をお祈りいたします。
どうか安らかにおやすみください。
議員の方々からも、石川知裕さんを惜しむ声があがっています。
石川知裕の家族構成

石川知裕さんの家族構成はどのようになっているのでしょうか?
香織さんと小学生の長男と長女が病院に到着してまもなく、午前6時半ごろ静かに息を引き取りました。
引用:https://news.livedoor.com/article/detail/29518466/
報道によると、石川知裕さんの家族構成は
妻:石川香織
小学生の長男
小学生の長女
の4人家族だったようです。
妻の石川香織さんは

かつて、日本BS放送のアナウンサーだったそうです。
その後、政治の道へ進むことになり衆議院議員として活躍しています。
まとめ
今回の記事では
- 石川知裕が癌の症状悪化で死去
- 石川知裕の生い立ちや学歴
- 石川知裕のwiki経歴プロフィール
- 石川知裕の家族構成
ということについて書いてみました。
結論、石川知裕さんは
- 癌で逝去した
- 学生時代から政治に関心を持っていた
- 4人家族だった
ということがわかりました。
石川知裕さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。