春夏通算約50回の甲子園出場を誇る、高校野球の名門・広陵高校。
2025年8月5日から開幕する、全国高校野球選手権大会にも広島県代表として出場が決まっています。
そんな名門広陵高校を率いる監督の中井哲之(なかい てつゆき)監督とは、どのような人物なのでしょうか?
ということで今回は
- 広陵高校の甲子園出場までの流れ
- 中井哲之の生い立ちや学歴
- 中井哲之のwiki経歴プロフィール
- 中井哲之の指導方針は人間教育を重視!
ということについて書いていきたいと思います。
広陵高校の甲子園出場までの流れ

甲子園の常連校である広陵高校が、2025年も出場を決めています。
甲子園出場までの広陵高校の甲子園出場までの流れは
日付 | 試合・出来事 | 対戦相手/内容 | 結果・ポイント |
---|---|---|---|
7月中旬〜20日頃 | 広島大会(地方予選)開始 | 初戦~3回戦 | 順当に勝ち進む |
7月20日頃 | 準々決勝 | vs 広島新庄高校 | 3–1で勝利 |
7月24日 | 準決勝 | vs 盈進高校 | 4–2で勝利 |
7月26日 | 決勝 | vs 崇徳高校(延長10回タイブレーク) | 2–1で勝利し、広島大会3連覇&甲子園出場決定 |
8月1日 | 本大会1回戦抽選(オンライン) | 開幕戦の対戦2校を事前に抽選 | 開幕カード決定 |
8月3日 | 組み合わせ抽選会 | 大阪市にて開催 | 本大会の組み合わせ確定 |
8月5日(火) | 甲子園大会 開会式・1回戦開始 | 阪神甲子園球場にて開幕式 午後4時 → 試合午後5:30 | 開幕日、一番舞台で全国49校がスタート |
8月6日〜 | 1回戦〜2回戦 | 広陵の試合は8月7日に第1試合(18:45〜) | vs 旭川志峯高校 |
このようになっています。
甲子園常連の広陵高校も、広島県予選の決勝で崇徳高校相手に

延長10回タイブレークの激闘を制し、見事甲子園出場を決めています。
中井哲之の生い立ちや学歴

そんな名門広陵高校を率いるのが、中井哲之監督です。
中井哲之監督は、広島県廿日市市出身で

少年時代から負けず嫌いで、人情味あふれる性格だったそうです。
で、野球を始めたのは小学4年生からだったといいます。
現在監督を務める、地元の広陵高校に進学すると

内野手(1番遊撃手/三塁手)として活躍し、1980年の
選抜甲子園でベスト4
夏の選手権でベスト8
という好成績を収めました。
卒業後は、大阪商業大学に進学し

野球を続けていましたが

プロでやる実力はないと自分で分かっていた
と、プロではなく
教育・育成
の道を選びます。
1985年に母校・広陵高校の社会科教師として赴任し、同時に式野球部のコーチに就任します。
さらに1990年4月には、わずか27歳で野球部監督に就任し
翌1991年の選抜で広陵高校を65年ぶりの全国優勝に導く
という偉業を成し遂げます。
若くして、監督としての才能を発揮していたことがわかりますね。
中井哲之のwiki経歴プロフィール


中井哲之監督のwiki経歴プロフィールは
項目 | 内容 | |
---|---|---|
氏名 | 中井 哲之(なかい てつゆき) | |
生年月日 | 1962年7月6日(現在 63歳) | |
出身地 | 広島県廿日市市 | |
学歴 | 広陵高校 → 大阪商業大学 | |
選手時代 | 内野手(主に遊撃手・三塁手として甲子園出場〔1980年春・夏〕) | |
教員・指導開始 | 1985年 広陵高校商業科教諭、野球部コーチ就任 | |
監督就任 | 1990年4月、当時27歳で広陵高校硬式野球部監督に | |
主な指導実績 | ・1991年春センバツ高校野球大会 優勝〔在任2年目〕・2003年春センバツ大会 優勝・夏の甲子園 準優勝2回(2007年・2017年) | |
甲子園出場実績 | 春14回(24勝12敗1分/優勝2回)、夏9回(15勝9敗/準優勝2回)、通算23回出場・39勝21敗1分1分 | |
指導スタイル・特徴 | 厳しい上下関係を改革、ノーサイン戦術導入、選手との信頼関係重視、控え選手も丁寧に扱う | |
女子野球部兼任 | 2021年4月より、広陵高校女子硬式野球部 総監督を兼任 |
このようになっています。
2021年4月からは
という大役を担うことになり、名実ともに「名監督」と称される存在となったと言えるでしょう。
中井哲之の指導方針は人間教育を重視!


中井哲之監督の指導方針は
と言われています。
中井哲之監督の教え子には(コーチ時代も含む)
- 金本知憲
- 新井貴浩
- 中村奨成
- 有原航平
- 小林誠司
※その他多数


など、そうそうたる面々を排出しています。
広陵高出身者は、プロ野球の世界で活躍を続けている。
彼らはなぜ、舞台が変わり、立場が変わっても活躍できるのか。
根幹にあるのは中井哲之監督が最も大切にしている「人間教育」。
在籍時だけではなく、脈々と受け継がれ、伝統となっている。(一部抜粋)
そして広陵高校の出身者が、プロの世界でも活躍し続けられる一つの要因が
中井哲之監督の「人間教育」
にあるとも言われているのです。
主に
- 人として正しく
- 大家族の概念
- ノーサイン野球
- 応援されるチーム
といった、野球以外に人間的な成長に繋がる教育スタイルを取っており


厳しい上下関係で有名だった広陵高校野球部の改革に成功するなど、大きな成果をあげているようです。
まとめ
今回の記事では
- 広陵高校の甲子園出場までの流れ
- 中井哲之の生い立ちや学歴
- 中井哲之のwiki経歴プロフィール
- 中井哲之の指導方針は人間教育を重視!
ということについて書いてみました。
結論、中井哲之監督は
- 2025年も広陵高校を甲子園に導く
- 負けず嫌いのガキ大将だった
- 女子硬式野球部の総監督にも就任
- 人間教育を重視したスタイル
ということがわかりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!