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仕事が楽しい幸せ

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子どもを育てるうえで大切にしていることはありますか?
人によっていろいろあると思いますが、その根底には「子どもが成長した時、どのように育っていたら幸せになれるか」という考えあってのものではないでしょうか。

親であれば「自分の子どもが将来どんな仕事をするんだろう」と、一度は考えたことがあると思います。
それは、仕事と幸せに少なからず関連性を感じているからだと思います。

かつての日本には「将来が安定している職業に就けば幸せになれる」という風潮がありました。
勉強をがんばって、いい大学に入り、一流企業に就職し、退職しそれなりの退職金をもらって、年金生活をしながら余生を楽しむ、というのが幸せな人生とされていたのかもしれません。
ですが、かつてのように決まったルートをたどっていれば「幸せが保証される」という時代ではなくなってきているということは、皆さんも感じているでしょう。

「幸せな人生」というものに対して
昔は「どんな仕事に就くか」ということへの依存度が大きかったと思います。
それに対して現在は「どう生きるか」ということが重要視されている印象です。

仕事に対して求めるものが変わってきているなかで、そこからどうやって幸せを見つけていくべきなのかを考えていきたいと思います。

目次

苦労は買ってでもしろ

「若いうちに苦労は買ってでもしろ
昔はよく言われました。

昭和の人間からすると「あの時苦労しておいて良かった」と思えることが一つや二つはあるのではないでしょうか。
ですが、今の10代、20代の若者たちからすると「なんで?」と思うかもしれません。

この教えには「若いうちに苦労しておくことは、のちの大きな成長につながる」という将来への投資的な意味合いがあるのだと僕は考えています。
少なくとも僕自身は、苦労したことによって得たものはたくさんあると思っているし、つらい経験だったからこそ成長につながったと感じることもたくさんあります。

「苦労する」という経験には、記憶に残りやすいという特徴があります。
感情が大きく動くことで、記憶に定着するのでしょう。

僕の友人が
「結婚式っていうのは準備がものすごく大変。だから思い出に残る」
と言っていたのが印象的です。

また一度でも大変な苦労をしておくと、それが記憶に残り「あの時に比べたら全然大したことない」と、精神的に強くなれると思います。

人は都合のいいように記憶を書き換える

一方で、そうして残った昔の記憶は自分の都合のいいように改ざんされている、という話も聞いたことがあります。

「あの時厳しく指導していただいたから、学ぶことができました」という思い出を持っている人は多いのではないでしょうか。
ですがもしその時、同じ内容を優しく上手に丁寧に指導されていたら……


きっと同じように学ぶことができていたのではないでしょうか。


せっかくあの時に大変な思いをしたんだから「あの経験のおかげ」じゃないと納得がいかないんです。
「つらかった思い出」をいつまでも残しておくことは自分を否定していることになります。
だから自分を肯定するために「つらかった思い出」を「いい思い出」に変えようとするのです。
それは、人間の持つ防衛本能のようなものなのかもしれません。

思い出をいい方に変えてしまっていることに気づかないでいると、
「自分が教育されたのと同じように、自分の子どもを教育する」
ということが起こってきます。
親の言うことを全然聞かなかった人でも、なぜかこうなる場合があります。

やっていることは部活動で自分が1年生の時球拾いをやらされたから、自分が2年生になったら新1年生にも球拾いをやらせてるのと同じです。
もし球拾いをしている時間を練習にあてていたら
得るものは同じでしょうか?

そうは言っても、もし僕が苦労することのない人生を送っていたら、今の自分を形成するものから何かが欠落するのではないかと不安を感じます。
だから「買ってまではしなくていいけど、少しくらいはしたほうがいいんじゃない」というのが「苦労」に対する考え方です。
楽天の三木谷浩史さんも「大変な苦労を経験した人」は指導者として必ず成功すると言っています。
識者のこういった意見もたくさんある一方で、そうでないという考えが時代の流れなのかと思うと、なんとも言えないジレンマを感じます。

好きなことを仕事にするのは幸せ?

『好きなことだけで生きていく』という堀江貴文さんの本があります。
このタイトルのように、本当にそんなことができたら幸せな気がします。
たぶんですが「好きなことだけ」というくらいだから、仕事も好きなことをするということなのでしょう。

そう考えると、昭和生まれの僕からするとどうしても引っかかってしまう固定概念があります。
それは「好きなことは仕事にするものじゃない」です。
誰に言われたかも思い出せませんが、昔はよく耳にした話なんです。

好きなことを仕事にしてしまうと、好きなことがだんだん好きでなくなってしまう。好きなことをやりたいなら趣味でやった方がいい。という内容です。
やらされるとやりたくなくなるという「心理的リアクタンス」という心理も関係していそうです。

好きでやっていた事が、会社からの命令でやらなくてはいけない事に変わる。
強制されることで、今やっていることは本当に自分が好きなことなのか?と、自分を見失ってしまう。
激務に追われ、いつの間にか好きな気持ちを忘れてしまう。
こんな理屈なんだと思います。

10代の頃の僕は、誰が言ったかもわからない「好きなことは仕事にするものじゃない」を、どっぷり信じ込んでいました。
好きなことを仕事にしたら、そうでない人たちよりも大変な思いをするのは当然だという確信にも似た感情を持っていたのです。


今思うと当時の大人たちが、表向きは「夢を見ること」を肯定しながら、本音は「安定した道を進んでほしい」という気持ちの表れだったのかもしれません。
当時は、現在のようになんでも調べることができませんから、テレビに映るような露出の多い職業に憧れる子どもたちが多かったはずです。
そういった職業は多くの場合狭き門であり、かつ収入が安定しない職業が多かったと思います。
ですから「好きなことを仕事にするものじゃない」という話が広まった背景には、「好きなことを仕事にさせたくない」という大人の思惑があったのかもしれません。

ただそれでいうと、今は時代が変わりました。
かつては好きなことで稼ぐのが難しかったかもしれませんが、今は好きなことで稼いでいくための選択肢がたくさんあります。
好きなことを仕事にするというハードルは、以前より格段に下がったということは紛れもない事実だと思います。
もし「好きなことをする」=「幸せ」ならば、幸せになるためには好きなことを仕事にしなくてはならない、ということになります。

楽しい方を選ぶ


納税日本一で有名な、銀座まるかんの斎藤一人さんは「正しい方ではなく、楽しい方を選ぶ」と言っています。
子どものころは「楽しい方」だけを選んで生きていたのに、成長するにつれていろいろな社会の仕組みみたいなものがわかってくるんですね。
そうすると段々「楽しい方」ではなく「正しい方」を選ぶようになってしまいうます。
そして段々「正しい方」だけを選ぶことが当たり前になり、楽しくなくなってしまう、という話です。

『手紙屋 蛍雪編』という本には、こんなことが書かれていました。
子どものころは楽しいことをすると、みんな笑う。
だから、みんな笑うことが楽しいことだと考えるようになっていきます。
ですが、ゴルフの打ちっぱなしで真剣な顔で黙々とボールを打っているお父さんはどうでしょう?
その表情には一切笑顔がありません。
それでも「楽しい」のです。
笑っていなくても楽しいのです。

本田宗一郎さんは、仕事に没頭しすぎてご飯も食べずに働いて気が付いたら深夜の2時だったという話を聞いたことがあります。
「大変な苦労をしてがんばったんだな」と思う人もいるかもしれません。
ですが実際は仕事が楽しすぎて、ご飯を食べることも忘れてしまうほど夢中になって働いていたということです。

3つ話をしましたが、何が言いたいのかというと「楽しいことは一生懸命できる」ということです。

「仕事が嫌だなあ」と考える人はいると思います。
でも「仕事は嫌だけど、楽しくてたまらないんだよなあ」という人はいないと思います。
起きている時間で考えると、人生の半分くらいの時間は仕事をしていることになります。
その時間が楽しい時間だったら、良さそうな気がしますね。

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