M・Tジム所属のプロボクサーで、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級5位の神足茂利(こうたり しげとし)選手。
2025年8月2日にOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチで王者の波田大和選手に挑戦しましたが、試合後に意識を失い8日に死去しました。
悲しい事故が起きてしまった神足茂利選手ですが、どのような人物だったのでしょうか?
今回の記事では
- 意識不明だった神足茂利が死去
- 神足茂利の生い立ちや学歴
- 神足茂利のwiki経歴プロフィール
- 救急車待機の義務化が必要?
ということについて書いていきたいと思います。
意識不明だった神足茂利が死去

2025年8月8日に、プロボクサーの神足茂利選手が死去しました。
8月2日に、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチで王者の波田大和選手に挑戦しましたが
引き分け
という結果になり、王座獲得とはなりませんでした。
その後、医務室で意識を失い救急搬送され
脳の状態の安定と全身状態の回復を目指す治療
を続けていましたが、8日午後10時59分に帰らぬ人となりました。
神足茂利の死因は急性硬膜下血腫
神足茂利選手の死因は
急性硬膜下血腫
とのことです。
急性硬膜下血腫とは
- 頭部への強い衝撃で脳を包む硬膜と脳の間に血がたまる状態
- 試合中や試合後しばらくしてから症状が急速に悪化することが多い
- 意識障害や呼吸停止を引き起こし、数分〜数時間以内の対応が生死を分ける
といった外傷性の脳損傷で、非常に危険な症状と言えます。
最近でも
- 穴口一輝選手
- 重岡銀次朗選手
- 浦川大将選手
らが試合後に急性硬膜下血腫を発症しており、JBCも今後の対応を検討してく必要があるようです。
神足茂利の生い立ちや学歴

ここからは、神足茂利選手の生い立ちや学歴を紹介します。
1996年9月2日、愛知県名古屋市に生まれた神足茂利選手は
小学校6年間はGKとしてサッカーをプレー
します。
ボクシングを始めたのは
中学1年生からで、そこから本格的に競技にのめり込んでいったようです。
高校は

に進学しますが、ボクシング部がない高校であることから部活としてボクシングをやってはいなかったと考えられます。
大学は

に進学し、ボクシング部に所属します。
アマチュア戦績
通算73戦50勝23敗
という輝かしい戦績を残しました。
神足茂利のwiki経歴プロフィール

神足茂利選手のwiki経歴プロフィールは
項目 | 内容 | |
---|---|---|
氏名 | 神足 茂利(こうたり しげとし) | |
生年月日・出身地 | 1996年9月2日、愛知県名古屋市 | |
学歴 | 瀬戸北総合高校 → 日本大学 | |
アマ戦績 | 73戦50勝(5RSC)23敗 | |
プロ戦績 | 12戦8勝(5KO)2敗2分 | |
ランク | OPBF東洋太平洋5位、日本同級5位 | |
死因 | 試合後の急性硬膜下血腫による永眠(2025年8月8日) |
このようになっています。
28歳という若さでこれからの活躍が期待されていただけに、今回の事故は非常に残念です。
救急車待機の義務化が必要?

今回、悲しい事故が起こってしまいましたが
ただ兄は救急車両がホールに到着したのが、要請から約40分後で「JBCのドクターの対応は必死に救命しようとしている人の対応ではなかったように思えます。もう少し早く病院へいけたらもっと何かが変わったかもしれないと思うと、悔しさで怒りがこみあげます」と問題提起していた。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/06cc045ae264ccb7469f38f7dd7de8a1669b1a1a?page=2

救急車の到着が、要請から約40分後
だったと問題提起しています。
前述したように「数分の対応が生死を分ける」こともあるということですから、救急車の待機が求められるのかもしれません。
世間からも



救急車の待機
を求める声があがっているようです。
他にも
水抜きの問題
ラウンド数の問題
スパーリングの問題
などの改善案があるようなので、選手の安全面を第一に考えた施策が求められるのかもしれません。
まとめ
今回の記事では
- 意識不明だった神足茂利が死去
- 神足茂利の生い立ちや学歴
- 神足茂利のwiki経歴プロフィール
- 救急車待機の義務化が必要?
ということについて書いてみました。
結論、神足茂利選手は
- 急性硬膜下血腫で亡くなった
- 中学1年生からボクシングを始めた
- アマチュア・プロと輝かしい戦績を残した
ということがわかりました。
神足茂利選手の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!