『それゆけ!アンパンマン』の作者として有名なやなせたかしさん。
そしてやなせたかしさんを支えた、妻である小松暢(こまつ のぶ)さん。
実はこの2人には子供がいませんでした。
ということで今回は
- 小松暢とやなせたかしには子供がいない
- 小松暢とやなせたかしに子供がいない理由5選!
ということについて書いていきたいと思います。
小松暢とやなせたかしには子供がいない

小松暢さんとやなせたかしさんには
子供がいない理由は後述しますが、決して子供がほしくなかったわけではなさそうです。
やなせたかしさんが結婚を決めたのは、小松暢さんからの

やなせさんの赤ちゃんが産みたい
という言葉があったからだといいます。
この一言で結婚を決めたわけですから、当然やなせたかしさんも「子供が欲しくない」という考えではなかったはずです。
小松暢とやなせたかしに子供がいない理由5選!


おそらく2人とも「子供はほしい」と思っていたのではないでしょうか。
ですが、子供がいなかったのにはなにか理由があるはずです。
真相がわかることはありませんが、考えられる理由を5つ紹介していきます。
理由①:不妊症だった
理由②:下宿先が子供部屋だった
理由③:貧乏が嫌だった
理由④:共働きだった
理由⑤:70歳まで貧乏で遅咲きだった
理由①:不妊症だった
小松暢さんとやなせたかしさん、2人のどちらかが不妊症だったという理由が考えられます。
小松暢さんとやなせたかしさんが結婚したのは1946年(昭和21年)です。
当時
小松暢さん:28歳
やなせたかしさん:27歳
と、子供をつくるには適齢期ともいえる年齢でした。
一般的に不妊症の割合は5~6人に1人と言われていますが
- 25~29歳で8.9%
- 30~34歳で14.6%
- 35~39歳で21.9%
- 40~44歳で28.9%
このように、年齢を重ねるごとにその割合は高くなっていきます。
こう考えると2人のどちらかが不妊症であった可能性はそこまで高くないように感じます。
とはいえ、不妊症の確率は8.9%。
決してありえないことではなかったのかもしれません。
また、当時の日本は収線を迎えたばかりで(1945年終戦→1946年結婚)


物資不足や食糧難に非常に苦しんでいたそうです。
身体の栄養状態も良くなかったことから、不妊症になる確率が上がってしまったかもしれません。
理由②:下宿先が子供部屋だった
結婚後2人が東京で生活することになった下宿先は、建築屋の子供部屋だったそうです。
その子供たちを寝かしつけてから、自分たち夫婦が寝るという生活ですから、なかなか子供を作るというわけにはいかなかったのかもしれません。
これも戦後という環境が影響したのでしょうか。
理由③:貧乏が嫌だった
やなせたかしさんは、上京して漫画家を目指すようになります。
しかし、東京での生活はまだ確立されていませんでした。
やなせたかしさんは



とにかく貧乏は嫌だった
と語っており、兼業漫画家という道を選んだそうです。
精力的に漫画を描きながら、三越に入社し宣伝部でグラフィックデザイナーとしても活躍しました。
これだけハードな生活を送っていると、子供を作っている余裕がなかったのかもしれません。
理由④:共働きだった
多忙を極めたやなせたかしさんですが、小松暢さんもまた日本社会党の代議士秘書として活躍していました。


今でこそ共働きをする世帯は増えましたが、昭和初期(1926年~1945年)には
妻が外で働くのは恥ずかしい
という考え方が一般的な価値観の一つにあったようです。
その理由は
働く女性=経済的に困窮している
と見られる事が多かったからだといいます。
多忙を極めながら生活も苦しい状況では、子供を作ることが難しかったのかもしれません。
理由⑤:70歳まで貧乏で遅咲きだった
やなせたかしさんは



60歳頃まで経済的に苦しい生活をしていた
と語っています。
54歳で絵本『あんぱんまん』を発表するがあまり売れず
↓
69歳でアニメ『それいけ!アンパンマン』放送開始
↓
1990年代に入って大ヒットし、ようやく経済的に安定
1919年生まれのやなせたかしさんは、経済的に安定した1990年代には70歳を超えています。
余裕を持って子供を養っていける経済力を得た頃には、かなり年令を重ねてしまっていたようです。
まとめ
今回の記事では
- 小松暢とやなせたかしには子供がいない
- 小松暢とやなせたかしに子供がいない理由5選!
ということについて書いてみました。
結論、小松暢さんとやなせたかしさんは
- 子供がいなかった
- 5つの理由のどれかであるかもしれない
ということがわかりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

