自分の子どもに対して
「さっき怒っちゃったから、あとで褒めてあげなきゃ」
こんなこと、考えたことありませんか?
気持ちはわかりますが
子どもの感情のバランスを取っているようで、実は自分のバランスを取ろうとしているようにも感じます。
「子どもを怒った」ことを借金のように考え、返済のために褒める
こうやって帳尻を合わせることで、子育てのストレスから自分を守っているのでしょうか。
多くの場合、「貯金・借金」のような概念を持って行動しているわけではないと思いますが
無意識にそういった行動をとってしまうのが、人情なのかもしれません。
「今日はジムで運動したから、お肉を食べても大丈夫」理論ですね。
一般的にこの理論は失敗談のように使われますが、
子どもの教育の場合
「褒めるは貯金、怒るは借金」
という考え方は、子どもの成長にどのような影響を与えていくのか考えていきたいと思います。
「叱る」と「怒る」
最近は子どもを教育するのに、「叱る」という言い方を使うのが主流のようです。
子どもの教育本を見ても「叱り方」の本はたくさんあるのに、「怒り方」についての本は1冊もありません。
「怒る」は感情に任せた行為で、「叱る」は理性を伴う行為のようです。
したがって、子どもから反省の気持ちを引き出すためには「叱る」方が効果的だと言われています。
「叱る」は腹を立てていない
「怒る」は腹を立てている
と定義するとわかりやすいかもしれません。
この理屈だと「優しく叱る」ということも成立します。
このことから
「私は怒っていません。私は叱っているんです!」
と言っている人は、
「私は腹を立てていません」とアピールしていることがわかります。
僕の感覚だと、昔はこの「叱る」という言葉に、そこまでこだわりはなかったように感じます。
もっと言うと、今でも無理をして使い分ける必要はないと考えています。
おそらく、”子どもの教育に「怒りの感情」が入ることを良しとしない”そういった時代の流れから、徐々に「叱る」と「怒る」を別物として区別する風潮となっていったのでしょう。
必ずしも、大人が子どもに対して感情的になるのが間違いだとは思わないので、個人的には複雑な思いです。
確かに、理性的な言葉で説明し教育することは大切だと思います。
ですが、それに固執すると、危険を察知する野生の勘みたいなものが鍛えられないような気がするのです。
「これをやったらママ(パパ)は感情的に怒る」ということを肌感覚で知っておくことは、これからの人生でも役に立つと思います。
昔と比べて
怖い親も、怖い先生も、怖い先輩も
少なくなったと聞きます。
あまりに恐怖から縁遠い生活しかしていないと
ヤ○ザみたいな人に対しても、正論で攻めていくような人間になりかません。
こんな妄想をしてしまいます。
話がそれましたが、なにが言いたいのかというと
必ずしも「叱る」のが正しいわけではないし、「怒る」のが間違っているわけでもない、ということです。
「怒鳴る」
腹を立てている状態で注意することを「怒る」とすると
その延長線上に「怒鳴る」があります。
怒りのバロメーターで言うと
叱る < 怒る < 怒鳴る
↑こうなります。
もしかしたら語弊があるかもしれませんが
「怒鳴る」=「強い(激しい)口調で注意すること」という定義で話していきます。
「怒る」ことに必要性を感じつつも、僕は基本的に子どもを怒りません。
当然、怒鳴ることもありません。
男性がこういった発言をすると、こんな意見が返ってきます。
- 強く言わないと、言うことを聞かない
- 本当に大事なこと(人を傷つけてしまうこと、自分に危険がおよぶことなど)は強く言う必要がある
- 「怒らない」を教育方針に掲げる家庭の子どもは、ワガママ・好き勝手に育つ
- 子育てをしていれば、感情的になることもある
- 私(ママ)ばっかり嫌われ役
気持ちははよくわかります。
いつも心を鬼にして、叱って(怒って)くださっている、世の中のお母さま方にはただただ頭が下がる思いでいっぱいです。
ですが、ひとつだけ心配していることがあります。
我が家の話ですが
長女が、妹をイスから突き落としてしまったとき
妻は長女に、とても厳しく注意していました。
一歩間違えば大けがをする可能性もありますから、
僕も「これはさすがに仕方がないな」と思い、静観しました。
ーー別の日
長女がふざけて自分の鼻水を舐めているのを発見した妻は
やはり怒っていました
…のですが、その時の怒りレベルがなぜか
長女が妹をイスから突き落としてしまった時と
まったく同じだったのです。
この経験から、僕はひとつの気づきを得ました。
「怒鳴ることは、クセになる」ということです。
怒鳴ることの最大のメリット?はというと
「時間を短縮できる」
ことだと思います。
強制的に、手っ取り早く、大人の言うことを聞かせるには
非常に有効な手段だからです。
その反面、怒鳴ることのリスクとして
- 怒られた理由を考えない
- 親の顔色を気にするようになる
- バレなければいいという考えを持つ
- 指示されたことしかできない
- 無気力・無表情になる
こんな子どもに育つ可能性が出てきてしまうようです。
手っ取り早いやり方で「親にとって都合のいい子ども」に育てるのか
根気強く教えていくことで「主体性のある子どもに」育てるのか
どちらが大切なのかを天秤にかけた時
答えはわかり切っていると思います。
言葉や感情よりも「表情」
僕は、子どもを注意したり、何かを教えたりするときに一番大切なのは
「表情」だと思っています。
子どもが失敗してしまったとき、
怒りの気持ちを抑えて、やさしく
「○○したらダメだよ、次から気をつけようね」
と叱ったとします。
つい強く言ってしまいそうな状況で
感情を抑え、「叱る」ことに成功しています。
ですが、
「顔が怒っている」
「顔ががっかりしている」
「顔が引きつっている」
そういうところを、子どもは見ています。
いくら励ましの言葉を伝えたところで
子どもは
(…ママは、自分に失望している)
そう感じてしまうのです。
子育てに限らず、教育に重要なのは
①「表情・雰囲気」 → ②「言い方・語気」 → ③「言葉・内容」
この順番です。
多くの人が、この順番を逆だと思っているようですが
③の正しいことを伝えるだけでうまくいくのなら、子育てはどれだけ楽になることでしょう。
コミュニケーションにおいて言語情報は7%、聴覚情報は38%、視覚情報は55%のウェイトで影響を与えるという「メラビアンの法則」というものがあります。
この法則からも「表情」が重要だということがわかると思います。
誰に言われるかが重要
あなたは誰に教えてもらえば、自分が大きな成長を遂げることができるかわかりますか?
答えは「好きな人」と「尊敬する人」です。
一般的に、社会の中で上下関係が存在すると認められている人間関係は
親と子の関係
先生と生徒の関係
上司と部下の関係
この3種類です。
「親」「先生」「上司」は指導的で優位な立場にあり、それは普遍的な事実です。
しかし上に立つ人間が、下の人間から「好かれる」「尊敬される」状態でないと、この関係はうまくいかなくなります。
教わる側の人間は、正しいことを教わりたいのではありません。
「好きな人」「尊敬する人」の言うことを聞きたいのです。
自分の感情をコントロールできず、すぐに怒ったり怒鳴ったりしてしまうような人の言うことを聞きたい人はいないのです。
そこがわかっていないと、どんなに内容が正しくても相手に伝えることは難しくなります。
上に立つ人間がいつも笑顔でいることで、教育はうまくいくようになるのだと思います。
まとめ
親が自分の感情をコントロールできていないと、子どもはそれを敏感に察知します。
そして褒めることでプラマイゼロにしたつもりでいても、それはただ「言葉」で取り繕っているだけにすぎません。
言葉だけで機嫌を取ろうとしても、子どもはそれを簡単に見抜きます。
指摘してこないのは、気を使っているからです。
子どもだって気を使うんです。
いつも「笑顔」で接することで、子どもは親のことを本当に尊敬するようになります。
俳優の竹中直人さんは『笑いながら怒る人』という芸を持っています。
一度検索してみてください。
きっと子どもの自己肯定感を損なわずに、「叱る」ヒントが見つかると思います。
怒鳴ることがクセになっている人は
笑いながら怒鳴ることをクセにしてみてはいかがでしょうか?
「怒る」「叱る」という言葉にこだわるよりも、
笑顔がいかに大切かということがわかると思います。